キングダム・オブ・ヘブンを観ました。
キリスト教勢力のエルサレム王国がイスラム教勢力のサラーフ・アッディーン(サラディン)に滅ぼされるという史実に基づいた話。
時代は12世紀後半、第二回十字軍が主人公バリアンの鍛冶工房がある土地(たぶんフランスか北イタリア)を通過するところから物語が始まり、第三回十字軍が同じ土地を通過する場面で物語は終わります。
ロマンスシーンが物足りない?
2時間半に近い尺があり、かなりの大作と言えます。でもこれでもかなりのシーンを泣く泣くカットしたようです。
本作を最初に観た時、主人公と王女シビラとのラブロマンスがあっさりとした印象、まるでテレビシリーズの総集編のような、物語の大筋に影響するところだけツマミ食いしたような扱いだと感じたのですが、後で調べてみたら、大幅にカットされたという報道がみつかりました。
シビラ姫は超VIP?
シビラ姫が出てくるシーンがあまりにも少ないので、彼女の重要性が観客にはほとんど理解できないと思いますが、実は彼女はものすごい重要人物で、エルサレム王国の統治の鍵なんです。
第一回十字軍でパレスチナ地方にエルサレム王国を建国したフランス人達は、土着貴族と婚姻関係を結び、土着氏族をのっとっていきました。映画ではボードワンIV王(ライ病の先王)の妹って印象しかありませんが、ボードワンIV王が死んだ後、シビラ姫はエルサレム王国建国以前の土着貴族の血を継ぐ唯一(たぶん)の人間であり、彼女以外に求心力をもつ血脈はありませんでした。(だから、シビラ姫は他の土地の女王の称号をたくさん持ってるようなことを言うんです)
もし、バリアンがシビラ姫と結婚して彼女の領地を根拠地としていれば、王になれたのは間違いないです。彼女が自らの血の債務を放棄して、バリアンを追って西方に去ってしまったことで、パレスチナがキリスト教徒の手に戻る可能性はついえたんでしょうね。
バリアンとプロテスタント思想
本作品を観た日本人には、バリアンって神を信じるのをやめちゃったのかな? と思う人が多いと思います。そういう見方、バリアンは無心論者になったという解釈も可能でしょう。でも、キリスト教文化圏の人間には、バリアンはまるでプロテスタント、特に清教徒(ピューリタン)のような考えと行動をしてるように見えるのではないでしょうか?
もちろん、史実ではルターやカルヴァンよりずっと前のこの時代にプロテスタントというものは存在していないわけですが。
バリアンの清教徒的なポイントを列挙してみます。
- いわゆる聖職者を敵視する (堕落した司教を殺す)
- 神と直接対話しようとする (教会や聖職者をエージェントとしない)
- 神の奇跡、神の啓示、などは起きないのが当然 (起きないから奇跡)
- 鍛冶屋や騎士などの、自分に与えられた職務(ベルーフ/世俗の天職)を誠実かつ真摯にこなす
- 相手がどんな高貴または神聖な人物でも、自分と対等な立場。ただし、主従関係にない場合(神の下の平等)
- 禁欲的かつ清貧かつ勤労
見事なほど清教徒的ですね。他人の妻であるシビラ姫に手を出さないところも、バリアンの行動原理がプロテスタント思想に基づくと考えると納得です。
こう考えると、本作品は、アメリカのエリート層にはとても受けがいいと思います。ユダヤ人への配慮もバッチリだし。
東方教会は出てこないの?
本作品は、かなりよく時代考証してあるのですが、なぜかビザンツ帝国や東方教会(正教)が影が非常に薄いです。そもそも十字軍はビザンツ帝国の要請に応えたものなんだし、まだこの頃は小アジア一帯はビザンツの領土だったはずで、どうにも理解できません。
なにか政治的配慮でカットされてしまったんでしょうか?