教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書
たけくまメモによると『教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』という本が企画されているらしい。
インターネットの定義にもよるけどTCP/IPで構築された公衆網って意味なら、私も1992年頃からインターネットに関わっていることになる。年をとるはずだ。
竹熊氏の紹介によるとパソ通についての記述があるようでちょっと不安。少なくとも黎明期のインターネットはパソ通との接点はほとんどなかったように記憶している。niftyserveとpcvanがインターネットとメールをやり取りできるようになったのはだいぶ後になった体と記憶している。
やはりWWW=インターネットみたいな考え方でMosaic以降のことしか記述されていないのだろうか?
いわゆるMosaic以前の黒歴史(?)にあたる部分をきっちり文献化してあれば、重要な史料になりうると思う。
たとえば
- 1992〜93年頃、ハイパーリンクを含むハイパーテキストをネットで提供するプロトコルはhttpよりもgopherの方が流行っていた。日本でも国立がんセンターにgopherサーバがあがっていた。Mosaicにもgopher:// でgopherプロトコルにアクセスできる機能があった。httpはCERNやKEK等の核物理学系でのみ流行ってたいわば方言みたいなものだった。
- 一世を風靡したMosaicは、世界初のWWWブラウザの実装というわけではない。NeXTの実装がすでにあった。Mosaicのインパクトは当時のUNIXワークステーションでトップシェアをとっていたSunマシンで動作するものであったこと。またバイナリを配布したことにある。(ソースも配布されていたがmotifがないとコンパイルできなかったので一部の人間しかソースからバイナリを作ることができなかった)
- 日本初の商業ISP IIJが設立される以前は、大学や研究機関や企業の研究所からしかインターネットに接続することはできなかった。しかし一般ピープルでもインターネットに接続できる裏技が実はあった。それはアマチュア無線。prugという団体が音頭をとって運営されていた無線で構築されたTCP/IP網があり、アマチュア無線の免許と無線機があれば誰でも参加できた。当時の通信行政の規制ギリギリの実験(あくまでも)で、ある意味、真の黒歴史にあたる部分かもしれない。
- Mosaicが世に出る前、すでにIRCというリアルタイムチャットシステムがあった。私がMosaicの存在を知ったのもIRCでだった。IRCは当時からほとんど変わらない形で2005年現在でも利用可能。httpプロトコルがこの10年で激動の変化をしたのに対し、IRCはほーんと全然変わってない。
ここらの事情は、当時UNIX管理者に教科書として扱われていた雑誌UNIXマガジンあたりにも詳しくは載ってないと思う。たぶん…