エンジンサマー(文庫版)を読みました。2008年に復刊された古典SF。
書かれた1960年代らしい高度文明が滅んだ後の時代の人類を描いた叙事詩のような小説です。
東西冷戦下の緊張の元いつ全面核戦争が起きるかもしれないという時代だった60年代の香りがする、ある意味で夢も希望もありゃしないデストピア的ビジョンなのに、なぜか美しく感動してしまいます。どのような状況であれ人間そのものはそうそう変わらないという思想があります。
ただ21世紀の立ち位置から読むと、当時ジョン=クロウリー(著者)が恒久的だと思っていた事柄が実はそうでもないようなものもあります。たとえば女性解放運動。60〜70年代はすごかったんでしょうね。国際連合的な国家連合体制が崩壊した後も女性解放運動の末裔が文明を維持しようと長期にわたり抵抗しそこそこの成功を収めるような記述がありますが、たった50年で女性解放ムーブメントは影も形も残ってません。彼女らは後継者を産み育てることができなかった。でも60年代当時は生涯独身のカトリック聖職者が構成する教皇庁のように自らが子を為さなくても組織を維持できると思ってたのかも知れません。
また、資本主義、拝金主義を否定するような面もあります。これは60年代にありがち。スタートレックだって未来の理想郷ではカネという概念は必要なくなったとしているし、マネーという概念は必要悪であって本質的なものではないという思想です。確かに文明が滅べば貨幣など意味はないのでしょうね。
本書の中の未来人は、異星からもたらされた植物から食料を得ています。これは大航海時代に新大陸からもたらされたジャガイモ・トウモロコシ・トマト・唐辛子などで旧世界の食生活が大きく影響を与えたようなものなのでしょう。ただしジャガイモはヨーロッパの人口を大きく増加させましたが、異星の植物はそこまでの影響力はなかったようです。むしろ秘伝の食料源として世界から隠匿されています。
本書にはラピュタと呼ばれる飛行島が出てきますが、文明を維持した少数の人間が住んでおり、本書のストーリーにおいて重要な役割を占めます。少なくとも2000年以上は延命したようです。
本書は英語のダジャレというか、高度文明時代のありふれた言い回しが、後世で深読みされて違う意味で使われたり、別の単語に転化したりするところがキモになっているので翻訳の質は重要です。
タイトルのエンジンサマー(Engine summer)も小春日和を意味するインディアンサマー(Indian summer)の転化であることが暗示されています。もはやインディアンという言葉が指すものは消失し、かろうじてエンジンだけは記憶にとどめられている世界では、このような言葉の変化が起きるのでしょう。
滅びの道をたどる人類という種。その滅びの冬への道のりの途中で一時的に盛り返した小春日和の時代。それが「エンジンサマー」が語る世界なのです。
古典的幻想SF小説。文庫版は新訳になってハードカバー版よりだいぶよくなっています。