でかいの日記帳

2014/9/28 Sunday

猿の惑星:新世紀(ライジング)

Filed under: - dekaino @ 15:59 このエントリをはてなブックマークに追加 帥:遺膣(ゃ吾潟)のはてなBookmark被リンク数

猿の惑星:新世紀(ライジング)を観ました。猿の惑星:創世記(ジェネシス)の続編です。
原題は"DAWN OF THE PLANET OF THE APES"。猿の惑星 黎明編みたいな感じでしょうか?
前作のラストから10年くらい後(?)、人類の文明は完全に後退し、高知能の話す猿が台頭していく時代の話です。衰退しつつあるといってもまだ少数の人類は文化・技術を継承して生き残っており、猿と人のあいだで戦争が始まるまでの話です。

猿が馬に乗るという、原点である猿の惑星の象徴的なシーンが再現されています。SF考証的には森林で暮らす社会で乗馬に意味があるとは思えないですけどね。単なる原点リスペクトなんでしょう。乗馬は平原で遊牧生活してるからこそ意味がある。だいたい乗馬で使う武器は槍じゃなくて弓だよね。槍もって乗馬するとか様式化して進化の袋小路にはまった中世の騎士みたい。

ウマに乗るサル

猿の惑星シリーズは、SFという形式で現代文明に対する警鐘、人種や思想・ナショナリズムの違いによる差別や争いをテーマにしたものですが、今回はその文脈ではご都合主義というか、毒がありません。
そもそも戦争が始まった理由が、お互いのトップが相手に持つ憎悪感情って、それはないでしょう。本当は、憎悪の前に根拠のない恐怖感情があるはずなんですよ。今でもUSAはアラブやらイスラム教徒は狂信的で危険で世界の敵みたいに根拠ない恐怖で市民を煽った上で、わざわざ他国の地にまで出張っていって戦争仕掛けてるわけです。それが民主国で支持許容されるのは国民が攻撃対象を憎悪してるからではなく、攻撃対象に恐怖してるからです。

本作には、主戦派が「サルどもは危険で悪いヤツラだ」って恐怖を煽るシーケンスが必要だと思います。単にたまたまトップが個人的理由で相手を憎悪してたからって動機づけはあまりにも作り手として不誠実でしょう。今も現実にある戦争もトップの歪んだ判断のせいであり、自分たちが軽々と恐怖にあおられた愚かさのせいじゃないって、目を背けたいだけなんじゃないでしょうか? もっとストレートに言うといわゆる「正義の戦争」を批判する反戦思想を入れ込むことは、何らかの理由で認められなかったのでしょう。ここがオリジナルとの大きな違いです。

この文脈で本作は単なる娯楽アクション作品であって社会啓蒙の要素はありません。
しかし映像や演出的にはお金かけてあるだけあってよく出来ています。

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