グスコーブドリの伝記
杉井ギサブローのグスコーブドリの伝記を観ました。キャラクターはますむらひろしの擬人化猫です。
1985年の銀河鉄道の夜に似ていますが、こちらはますむらひろしが翻案して描いたマンガをアニメ化した作品。これに対し、本作は杉井ギサブロー監督本人が宮沢賢治作品複数を翻案して脚本を書いているので、ほぼギサブロー個人の作品と言って構いません。商業上、宮沢賢治+ますむらひろし+ギサブローという点で類似点がある銀河鉄道の夜のネームバリューを利用しているだけで、まったくつながりもありませんし、類似点もありません。
そこを誤解して鑑賞すると期待したような感動を得られないとは思います。でも本作は本作で、ギサブローの人生の締めくくりをかけた入魂の強いメッセージ性をもつ作品となっています。
まあぶっちゃけて言えば、過去のデータを根拠にいかにも当たりそうな企画案をみせて、出社を騙して作りたかった作品を作りたいように作ってしまった代物。ある意味でクローバーを騙してつくったザンボット3やらガンダムやらトミーを騙したイデオンやらより、ひどい騙しっぷりです。
いかにも毒がなさそうな無難な宣伝ポスター。85年の銀河鉄道の夜(かなりヒットした)を知ってる人なら同系統の話を期待さぜるを得ませんよね? ところがどっこい…
本作は、押井作品のように監督が心の中に抱えている現社会への愚痴を詰め込んだ作品です。そういう意味でギサブローらしい職人が作った娯楽アニメではなく、宮沢賢治の想いとギサブローの思想が共振して発せられた作家性が非常に高いメッセージアニメと言えます。
監督には、若者を育てる気がなく若い才能をただ搾取しているだけの業界の実情への怒りがあって、商業主義を批判しているのではないでしょうか? 確信的にスポンサーを騙してスポンサーを批判する作品を作ってます。
まずストーリーはかなり改変されています。しかも宮沢賢治の別の作品などが混ぜ込まれているらしい。主人公のブドリは非常に好感が持てる好青年、なぜかどこに行ってもすぐに他人に必要とされる運だけはあるのに、決して大きな成功はなく、いつも人の陰にいるようなイメージ。
ブドリは才能を認められて火山研究所に職を得ますが、あくまでも手伝いだけをしており、決して本流の研究者としては扱われていない。便利なアシスタントとして利用されているだけなんですね。そして意を決して意見具申しても、一番物わかりのよさそうな博士にも「そりゃあダメ」と軽く否定されてしまう程度の扱いでしかない。
最後に原作通りみんなが知っているような自己犠牲を伴う献身をするのに、まったく盛り上げず、それどころかヒーローとしても扱わず、結果として救われた人は多数いるが、それでもブドリはつまらない選択をしてつまらない人生を終えたと言わんばかりの、厭世的な思想が見え隠れしています。
宮沢賢治の原作では、誰もわかってくれなくてもいい、自分だけわかっていればよい。そしてやるべきことをやれば、後世わかってくれる人がいるかもしれないという、ある意味法華経的信念に貫かれていますが、本作のブドリは決して報われないし、後世になって認められることはないようです。ただ犠牲になっただけの甲斐はあり、救われた人々は救われたことも知らず淡々と前よりは幸福になって生きていくだけ。
また、今の規範では下の下とされそうなヤマっ気の強い元豪農を生き生きと描写し、抗えぬ力で没落するが、それはそれでいいんだ的な心意気を感じます。山師が好きなんでしょうね。それで身を滅ぼしたとしても、資本の力でリスクなく搾取するよりは全然マシ。
まったく子供には理解できなさそうなアニメで、興行的にも大失敗といっていい状況のようです。しかし、本作こそ後になってから評価が上がる類の作品だと思います。娯楽作品の皮をかぶった文学作品なのです。