宮崎版 風立ちぬ
宮崎版 風立ちぬを観ました。
宮崎駿ブランドの劇場作品として3つの新しい経験をしました。
1. はじめてデジタル上映で宮崎作品を観た。
やはり違和感があります。フイルム映写機のぼやけた味が宮崎作品にはあっていたのではないかな。しかし現状の映画上映体制で新作のフイルム配給というのはありえませんから、どうにもなりません。ビデオ撮影の水戸黄門をみたときの気分に似ています。
2. 脚本宮崎駿の作品なのにちゃんと構成がある! 省略的表現が多用されている。
これは画期的。出来なかったわけではなく今まではあえてやらなかったのだ! と言いたいのでしょうか? 幕間の間の部分があるのは新しい。
でも宮崎ブランドがなければただの凡庸な構成ではあるのですが… ティム=バートンばりの夢見心地な筋が通らないファンタジー演出とはだいぶ違います。
3. 老人向け作品である。
あくまでも子供向け、せいぜい青年向けだった従来の視聴層を完全に裏切って、黄昏流星群やら釣りバカ日誌やらが好きそうな老人層に向けてメッセージを出してます。
ラストシーンで泣けるという宣伝がされており、たしかに若い観客の中には泣いてる人もいたのですが、私は涙のなもでてきませんでした。若くして病死したヒロインと遺された主人公の話ですが、幸福であれ不幸な要素はないですもん。人はいつか必ず死ぬのだからどうせ死ぬならこのように美しく死にたい。そして残された人間も引きずらずに「生きて」ってお話ですから。むしろ泣いて悲しんだら菜穂子の意に反すると思います。
どんどん死別により旧い友や親族を失っていく老人にハートに突き刺さる映画だと思います。
あと堀越二郎をだいぶ持ち上げていますが、彼の作品は工芸品としては優れていても兵器としては微妙だったと思ってます。
たとえば沈頭鋲は、技術じゃなくて生産に携わる職人の技能に依存しているわけで。民間企業の三菱としては、海軍が勝手に設計図を競合企業にまわして生産させようとしても、沈頭鋲の技能をもつ職人を囲い込んでいる三菱でしか生産できないって構図は都合がよかったんでしょうけど。
やはり工芸品で戦争するというのは無理筋で、あくまでも工業製品として生産性がよくないと勝てなかったんだと個人的に思っています。
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