小町神社と慰霊塔
厚木市小野にある小町神社と玉川小学校付近の慰霊塔まで散歩してみました。
愛甲石田駅前の国道246号線を渋谷方向に10分くらい歩き、東名高速をくぐる当たりに流れている川が玉川です。その玉川の土手沿いに上流へ歩いていき、小野橋手前に小町神社(小野緑地)への上り口があります。
コースはこのサイトに詳しく載っています。本厚木駅から出発して徒歩で1時間ちょっとぐらいでしょう。
小町神社は小野小町に由縁がある神社らしいのですが真偽は不明です。
これが鳥居です。玉川沿いの道から短い登り階段があり、その途中にあります。
階段を登りきると小町神社がある小さな広場に出ます。
これが小町神社の説明版。どうやら白髪を黒くする御利益があるらしい。ただし30歳以下限定。30過ぎの白髪は救済してくれないようです。
神社の横にある土饅頭。いくらなんでも本当にここに小野小町が墓碑もなしに埋葬されているとはちょっと考えにくいです。
小町神社から再度玉川に戻り、てくてくと上流方向に歩いていくと、日向川と七沢川に分岐するところにたどり着きます。この分岐点にかかる木造なのに金井橋って名前の橋を渡ったところに慰霊塔や忠魂碑が建っている祭壇(?)があります。
面白いのが砲弾が乗せてある石碑です。桜マークの中に忠・質・信・武・禮(礼)の文字が見えます。
砲弾の裏には「除隊紀念 野戦重砲兵第四聯(連)隊 中村」の刻文字が読み取れます。紀は記の誤字だろう。聯の字もちょっと怪しい。
石台の裏には昭和七年との年号がありました。昭和七年当時、野戦重砲兵第四連隊は千葉県四街道市にあったようで、現在その敷地は愛国学園大学になっています。正門が残っているそうです。正門の近くには似たような状態で砲弾がたくさん記念碑として残されています。
中村さんは無事除隊して砲弾を土産持って帰ってきたのでしょう。ちなみに野戦重砲兵第四連隊はその後満州に送られノモンハン戦でソ連と交戦、太平洋戦争時には南方に送られほとんどの将兵が死傷したそうです。合掌
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